世の中にはパワーを与えますとかヒーリングしますとかいった代行サービスが山ほどあります。こうしたタイプのサービスをAgent Serviceと定義します。Agent(エージェント)とは、本人に代わって相手のために何かを提供する者です。そしてService(サービス)とは提供することそのものです。
代行サービスにおいて起こしやすい間違いのひとつは、サービスのメニュー化です。多くのエージェントにおいて、サービスの品質を均し、少ない労力で一定の成果を提供するためにメニュー化が行われます。
癒し(Healing)を提供できる者は、その使い方においてより厳密です。誰にでも提供できるような癒しは存在しないのです。それが一体なぜなのかを説明しましょう。
癒しは誰もが必要としていると多くの人が思いがちです。それは一定の条件において正解です。正解の条件は、ひとつの生命として、自己治癒(Self Healing)を行うことです。生命は生まれ落ちたその瞬間から独り立ちをはじめます。例を挙げれば、子が風邪をひいたとしましょう。たとえ母であっても子の風邪を治癒することはできません。医師にも科学者にもできません。そしてシャーマンやヒーラーにもそれはできないのです。
物理的に可能かどうかというと、前述したなかでも本物のヒーラーは治癒の手助けが可能です。職業が医師だろうと住職だろうと事務職だろうと、ヒーラーの資質を持っている人はそれができます。しかしながら問題は、「できるかできないか」の判断基準が「物理的に可能かどうか」だけではないということになります。
たとえば子の風邪を治すという行為にはさまざまな意味がありますが、なかでも大切なのは、子自身が体内において免疫系が風邪の原因となる菌やウイルスと「生き残りを懸けたせめぎ合い」をすることにあります。勝負は相手の絶滅の場合もありますし、寛解や共存による場合もありますが、子の側において最重要なのは、全体の生命システムを脅かす存在を無毒化することにあります。
これからの人生で幾度となく迫りくる生命の脅威をクリアして生き抜いていくための最善は何でしょうか。それは、免疫系を強化することにほかなりません。では、免疫系はどうしたら強化されるのでしょうか。それは脅威を外部から取り除いてやることでは決してなく、自らの免疫系が外部からの脅威とぶつかり合い、生き残ることです。それを繰り返すことによって免疫は強化されます。つまりわたしたちの肉体は、筋力、脳力、生命力すべてにおいて「訓練」を積むことによって強化されるシステムだということです。
生命の脅威を代行サービスによって除去することは、対象の弱体化に加担していることに他なりません。
だからこそわたしたちのような「癒し」が実行可能な存在は、安易に癒しを提供しないのです。それがわかっていないうえで自らをヒーラーだとか癒しの存在だとか自称している者は、本質的な癒しの意味をわかっていないばかりか、ヒーリングの能力も十分に持ち合わせていません。すべては倫理や宇宙の摂理の理解とセットなのです。ただ目の前にある生命の脅威を除去するだけならば、ヒーラーだけでなくとも可能なのです。しかしそれは、中長期的にみて生命の脅威を除去していることにならないということを繰り返し申し上げておきます。
ではヒーラーはなにをもってヒーリングを提供するかしないかを決めたり、なにを対象にしてその力を発揮すべきなのでしょうか。その答えは、「毎回異なる」です。
なので、メニュー化は無意味なのです。ましてや、金銭のやり取りが発生する状況を作ってしまうと、本質的にそのヒーリングを提供すべきか否かを判断する際の障害となりましょう。本当はヒーリングすべきでなくとも、お金をいただいてしまった上でヒーリングをしなかったら、どうなるでしょうか。多くの方はお金をいただいてしまったら、実施する以外の選択ができなくなってしまいます。
ヒーリングを実施する/しないの判断は、ヒーリング行為そのものが物理的に可能かどうかよりも高度です。例えて言うならば、料理に塩を入れるのは素人にも可能ですが、塩をいま入れるべきかどうかの判断のほうがより難しいということです。そして塩を入れるかどうかの判断は単純に料理の味だけの問題ではなく、全体的なバランスだとか、健康だとか、保存だとか、複雑な要素が絡み合います。
高度な技を持つ「癒しの提供者」は、高度な判断が可能ですし、お金をいただくことと癒しを紐づけることもありません。そもそも「そこにある鍋に、そこにある塩を入れる」だけの行為に、お金をいただくことの意味がわかりません。また、たとえお金をいただいた上で相手に癒しを望まれたとしても、それが適切ではないと判断すれば、相手に納得してもらいながらそれを提供しないことも可能です。なぜヒーリングしないほうがよいのか、状況に応じて適切な説明が可能だからです。

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